2015年12月25日金曜日

大学と民間等との共同研究制度の沿革(2)

 20151224日の記事「大学と民間等との共同研究制度の沿革(1)」の続きです。

 1983(昭和58)年に大学と民間等との共同研究制度は発足しました。その3年後の1986(昭和61)年、空前のバブル期が始まります。翌年の1984(昭和62)年に大学への地域共同研究センターの整備が開始されます。バブル期が終焉を迎えたのは1991(平成3)年とされています。そして4年後、1995(平成7)年に科学技術基本法が制定されました。

 科学技術基本法は、実は一度廃案になっています。科学技術基本法は、1959(昭和34)年に科学技術会議が設置された直後に制定が検討されていました。「10年後を目標とする科学技術振興の総合的基本方策について」(昭和3465日諮問第1号)が内閣総理大臣からあり、科学技術会議は1960(昭和35)104日に答申しました。その答申において科学技術に関する基本法の制定が盛り込まれ、これを受けて法案は1968(昭和43)2月に第58回国会に提出されましたが機は熟さず、継続審議となり、年末の第60回国会で審議未了廃案となりました。

 バブル経済崩壊後の景気低迷の影響などにより、これまで我が国の研究開発投資の大層を担っていた民間の研究開発投資が1992(平成4)年度から3年連続して前年度を下回り、結果として我が国全体の研究開発投資も1993(平成5)年度、1994(平成6)年度と2年続けて前年度から減少し、また、大学や国立試験研究機関などにおいては研究支援者の不足や施設・設備の老朽化などにより、必ずしも研究者の知的想像力を最大限に発揮させるための満足できる研究環境にはなっていないことなどが、1990年代に入り科学技術基本法制定への機運が再び高まった要因として指摘されているところです。(『科学技術基本計画(解説)』科学技術庁科学技術政策局編,大蔵省印刷局,1997p.1

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